松井秀喜の星稜野球部メンバーの同窓会
甲子園で松井秀喜が5連続敬遠をくらった試合
当時の星稜野球部メンバーが番組「バース・デイ」の
企画で集まった。
メンバーの中でも松井は当時、松井の後を打っていた
5番「月岩」と会いたいと言っていた。
月岩さんもこれまでの同窓会にあまり参加する気が
起きなかったと明かす。
松井敬遠の後の重圧と責任がすべて5番の
月岩にのしかかったこと、その本音が聞けた。
スポンサードリンク
星稜メンバーが本音で語る
8月4日松井が甲子園100回大会の
プレミアム始球式の前日、当時の星稜メンバーが
13人集まった(同級11人・1個下2人)
昔の練習風景が画像で流されて爆笑するメンバー
話が5連続敬遠の明徳義塾戦の話になると
複雑な表情になる。
敬遠の裏に実は「点」を取られたこと
に責任を感じているメンバーがいた。
それは、センター清水さんで明徳に先制点を
与えてしまったきっかけ、
センター清水さんのエラーで
あったことを気にかけていた。
その清水さんはエラー以外でも
ある、コメントで「清原」さんが言っていた、
あの5連続敬遠が自分にあっても当時のPL学園なら
他のメンバーがガンガン打って、きっと勝ったと語ったという。
そのコメントが残ったと話す。
星稜も他のメンバーが打てば勝てたと話した。
スポンサードリンク
5番月岩信成さん
そのことを1番苦しんでいた5番の月岩信成さんは
本音を語る。26年間、整理がつかない解放してほしい。
「自分が打てなかったから負けた」
敗戦のすべてを背負い込んだ。
今まで敬遠のことを誰にも言われないのが逆に
気持ち悪いので言ってくれ・・・。
いじって解放してくれと言う。
松井も当時、肩をたたいて大丈夫としか言えなかったらしい
月岩さんも終始泣いていたので良く覚えていないと答える。
松井は試合後バスでマネージャーに
「俺が打てなくてごめんな」という言葉が響いたと語る。
松井にこんな質問が出た
「敬遠中まったくバットを振る気はなかったのか?」
「挑発的にでも、振ることは考えていなかったのか?」
松井は答える、打てる球が来ればカウント関係なく
振るつもりだった、だけどその球は来なかった。
スポンサードリンク